都合が悪いものは…
最近国会や大臣などによる
記憶がない
書類や記録がない
そんなはずはない
などなど。
自分の不利益、都合が悪いことはこれで済まそうという態度のオンパレード。
違うならしょうこを示せというのは一般社会では当たり前に言われることで、犯罪事件ではなおのこと。
それを国の最高機関である国会のしかも大臣などが子供じみた態度で押し切るなら、一般国民がそれに習って犯罪をしても証拠を見せられても「知りません」で通るのか?
脱税しても知りません、やった記憶がありませんと言えば通るのか?
何でも都合が悪いことはしらばっくれたらいいと国の代表がしてるので子供たちに同じ事をして何が悪いと言われたらなんて言えばいいのだろうか。
喉元過ぎて暑さ忘れるとはまさにこのことかな。
日本はでがらしと露骨なウソが好き?
日本は儲かったと聞いたら結果を見たものに食いつく。
しかし海外の多くは儲かりそうなまだあまり人が手をつけてないものに食いつく。
まだあまり注目されてないから伸び代もあるのでリスクはあるがそのぶん利益も大きい。
上手くいった話はみんな利益を得た後だから、もう利幅は少ないもしくは利益がないもしくは損失につながる。
投資の世界では海外で十分利益が出たものの最後の受け皿は日本なんて話も。
日本は利益が出るものより利益が出たものが好きなので。
また利益が出るかもしれないしリスクもありますよりノーリスク&ハイリターンという、いかにも怪しいものを好む。
過去そんな話して騙された話がいっぱいなのに、自分だけは大丈夫という根拠のない理由で案の定騙される。
そんな美味しい話なら誰にも言わず自分だけで儲けると誰でも思うはず。
考える間も無くわかるだろう話なのに…
日本は美味しいところが出切ったでがらしと露骨な嘘が好きだなとつくづく思う。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉があるにも関わらずそその言葉は無視。
おいしい話には裏があるというのも無視。
そして予想通りの結末を迎え大騒ぎ。
日本って…。
プロ障害者はいい迷惑
先日、報道で障害者の方が飛行機の階段昇降で問題になっていた。
テレビではコメントが障害者方が気の毒だとか航空会社の対応がおかしいとかと航空会社を非難する声ばかりだったが、それにとても違和感を感じた。
自分でも飛行機を利用することがあるのだが、航空会社によって対応してくれるところや事前に確認してくださいとするところなどがあり、自分の状態に合わせ航空会社を選ぶのが普通。
数ある中で条件に合わないところを選んで騒いでクレームを言う、しかも障害者である事を盾に。
タチが悪いプロ障害者はよくきくクレーマーよりタチが悪い。
健常者が反論しにくいことをいい事にわがまま放題どんなものか…。
理由はどうであれ結果として普段の生活において周りに助けてもらう事が健常者より確実に多い障害者。
それを踏まえれば日頃出来る範囲で余計な負担や迷惑をかけないようにするというのは当たり前ではないのだろうか。
今回のことも選択肢があるなら出来るだけ自分の状態にスムーズに対応するところ、でなければ早めに連絡をして自分がとろうとしている行動で問題ないか、何らかの対策は取れるのかを確認することは常識ではないだろうか?
どうも今回の人はクレーマーとして生活するプロ障害者にしか見えず、それにより普段健常者の方と穏便に過ごし余計な差別をされないように生活する身にはいい迷惑にしか感じない、
権利ばかり主張するのではなく、共存する謙虚さを持つ事は出来ないのか?
今回に限らずどんなことでも言ったもん勝ちの風潮の昨今、日本人の良さとされて来たものがどんどん失われている気がするのは気のせいだろうか?
自分勝手がこれからはスタンダードになっていくのかと思うと、これから先嫌な世の中だなと思う…。
日本でのエリートとは
日本で見るエリートとはこんな感じ…
高学歴でそれなりの社会的な地位を得て、プライドをとても高く持ち人を見下し、暴言・暴力を行い、利益を貪り何がまずいことは他人のせいもしくはしらばっくれる人
というのが最近目にするエリートと呼ばれる人たち。
日本ではエリートとは人間性がクズになるということか…
本来の言葉の意味は何処へやら。
やりたい放題
このところ与党では都合が悪い事は印象操作だとか確認する必要はないとか、何もなかったことにしようと誰もがわかるレベルの隠ぺい態度。
どんなおかしな発言をしても撤回しますで終わり。
要するに悪さをしても、どんな暴言を言ってもなかったことで…といった態度。
国を代表する人がこんな態度で一般人が同じ態度を取った時なんて言うのだろうか?
政治家が隠ぺいや暴言後に撤回しますで済まされるのだから、みんなもそうしていい、子供がそれを見て真似でも叱ることさえ出来ない、そんな社会をつくりましょうと言うことなのだろうか。
モラルの基準がこの国はちょっと違うのかもしれない。
誰からも望まれない者
最近昔のことをふと振り返ったことがあり、あらためて思うことがあった。
それは自分が「誰からも望まれない者」ということ。
幼少期は親から「お前は俺の子供じゃない」と事あるたびに言われ続け、日常のDVは当たり前、あるとき迷子になったとき交番に保護され親に迎えに来るよう連絡された時、親が迎えに行くつもりはないと言ってるからと警察官が送ってくれることがあった。
骨折をしたときはそのまま放置され変形したまま今に至ったり…今なら虐待で問題になるかな。
いじめに至っては小中高一貫していじめの対象で、先生に助けを求めても露骨に嫌な顔で放置される日々でした。
落書き、ごみ箱に荷物の放棄、言葉と肉体的暴力など…
登校拒否をしようとすると家庭で「世間体が悪い」と暴力を受け無理矢理登校するといった感じで。
部活には入ってみたものの、周りからは無視されるという想定通りの対応。
社会人になってからは相手に危害も悪口も言わなくても何故か嫌いと言われることがあったり、手伝いをする時や仕事を相手に変わってやる時だけかまわれたりで上司から褒められると「嫌なやつ」と周りで徒党を組んで仲間はずれにされたり、最近は一緒に頑張っていこうと言ってたはずの人が障がい者になった途端に音信不通…。
当然の事ながら今まで友達と呼べるような中の人はいなかったし、自分ではそう思っていた人が相手は全然そうは思ってなかったとか。
親も同級生も同僚も今まで自分を受け入れてもらった事はなく、傷つき裏切られと言う日々だったなと思うばかり。
そのうちきっといい時が来ると言われても、それは来た人が言うだけの話。
真面目に人に出来るだけ迷惑をかけず正直に生きて良かったと思う事はほぼ無い。
でも今さらこの性格を変える事は難しく、どう変えたらいいかもわからない。
自分は誰からも望まれない存在なんだなと。
これから先、さらなる苦痛の日々をどう生きるか…考えるのは辛い。
かといえ自殺する勇気もなければ殺されるような事も望ままい。
ある日眠りについてそのままと言うのが理想かな、
誰にも気づかれないまま。
きっと誰も気にかけてないだろうし。