日々思うこと。

日々の想いや感じたことを綴ります。

今の日本政府が目指すは中国・北朝鮮?

最近、日本政府は都合が悪そうなことは、調べない、フェイクニュースとアメリカの今の大統領と似た態度で封じ込めに終始し、共謀罪は日本はもちろん海外からも疑問視される中、皆さんに丁寧な説明をするとか言っててた先から審議途中での強行採決

政府のコメントを確認してみると戦前の警察ばりに監視体制をとれる法案だったりと、現行の法律でも使ってないだけで活用すればいいのを飛び越えて窮屈な監視社会にする方向に真っしぐら。

政府の都合が悪い事は無かった事に、政府の都合が悪い人は捕まえるそんな体制がしっかり出来つつある昨今、だんだんと中国や北朝鮮に政治体制が近づいてる気がするのは気のせいだろうか。

そんな今の政府を支持する国民。

自分良ければ後は知らないとばかり。

日本は戦前の政治を古き良きとでも思っているのか…。

此の先この国はどこへ向かって行くのだろう…。

犯罪者に優しい国…日本

いつもニュースを見て思うのだが、悪質な相手の人生をどん底に落とす様なサギが数年程度の刑で、なおかつ執行猶予と実質的なお咎めなしだったり、反省の言葉を述べているで刑が軽減されたり、殺した人数が1人なら十数年間の判決であったり…。

被害者は相手の行為で死んでしまったり、人生が大きく狂いどん底で中には自殺に追い込まれたりと想像を絶する苦痛を味わっているにも関わらず、加害者の人権がとか反省しているとかとても加害者には優しいことがたくさん。

被害者の人権は加害者よりもとても軽視されている様に思えてならない。

反省の態度なら実際は微塵も思ってなくとも適当に演技することはいくらでもできるし、サギだって数年で開放されてまた…という事も少なくないし、人ひとりの命は加害者数年の人生って…随分軽い扱いだなって。

反省してるから人生やり直すチャンスを…と言うが、ある意味では分からなくはないが、程度があるのでは?

日本は性善説が基準になっていたからかもしれないが、見直してもいい時期が来てるのではないだろうか?

累進刑なり刑期終了後のペナルティーなど、まっとうに生きる人は損をするのではなく、悪いものには相当の足かせがつくから、事前にやらない様にするくらいのことはあっても良いと思う。

人の優しさは西高東低?

身体に障害があるため、公共交通機関では、色々大変なことが多いのだが、周りの対応が今までの経験上地域によって差がある。

大阪では階段の昇降で「何か手助けしょうか?」とかエレベーターに乗ろうと向かってるのに気がついた人が待っていてくれたり、席を譲ってくれる人が多い。 

東京ではいるのを目視してからスマホに集中?したり急に目をつぶり無視する人が多く、エレベーターや階段は基本無視が大半。

エレベーターで待っていると乗るのを待っていてくれるかな。

札幌では席に向っていると横からダッシュで目の前に座り知らん顔、エレベーターに乗ろうと向かってるのが見えているのに閉めるボタンで目の前で行ってしまう、階段では手摺りをつたい杖を持って移動してると平然とぶつかってくる。

歩いている時も札幌ではよくぶつかって、何度となく危ない思いをした。

どれも何度も経験したことなので地域の人間性なのだと思う。

人の優しさは西高東低なのかもしれない。

寒い所ほど心も冷えてしまえのだろうか…

辛いときは笑おう

つねに心がけていること

「辛い時は笑おう」

今も昔もあまり幸福を感じるような人生ではない。

人それぞれ尺度はあると思うが、自分の事を知っている人は皆不幸が歩いているようだと言う。

今も思うように身体が動かせないし、言葉を上手く発する事が出来ない。

日々の生活の中でも泣きたくなるような事がたくさんある。

相手に思う事を伝えられないとか、普通の人が何気なくできることができないとか、差別を受けたりとか。色々と…。

そんな時はいつも辛いからこそ笑おうと心に決めて笑うようにしている。

そうしないとネガティヴスパイラルに陥り自分が保てないと言うのもあるが、笑っていればいざれ本当に笑える日が来るかもしれないから。

中々そこまでできなかったけど、最近ようやく自然に出来るようになった。

決っして楽ではないけど同じダメなら笑っている方が救われるような気がするから。

伝えたい言葉を‥

この前サラダの店でサラダを注文。

デパ地下の店舗だったので人混みもあり普通に注文してもなかなか伝わらない状況。

その中で普段でさえ伝わらない言葉で何とか話してみると、店員さんが所々何とか聞き取れるらしい言葉をつないでしばらく考えた顔をして、笑顔で●●●ですね。と確認してくれた。

たわいもないと想うかもしれないが、話のできない自分の言葉を笑顔で聞いてくれたことがとても嬉しかった。

指差しで済んだのかもしれないし、相手もその方がいいのかもしれないが、そんな事を言わずにいてくれた店員さんの態度がありがたくて。

気持ちが暖かくなる時間だった。

優先席?

地下鉄に乗るとき、立っているのがバランスが取れず辛いため、出来れば席に座りたいと必ず優先席に行くようにしている。

普通の席は他の人に申し訳ない気持ちからのことで、優先席ならとおもってののこと。

必ず譲るのが正解とは思わないが、かなり高い確率で遭遇するのは、自分は杖を持っているのだが、若い人はほとんど席を譲ってはくれない。

特に女性に限っては一度杖を確認してスマホをガン見、

平然と目的の駅まで、

席を譲ってくれる多くは、小さな子供を抱えた人や年寄りで、大変なのはそちらも同じじゃ‥と申し訳ない気持ちに。

その横で元気な人がチラ見してる光景に頻繁に出会う。

後は外国人の方はかなりの確率で譲ってくれる。

日本人は親切だと聞く事があるが同じ日本人の弱者にはそんな事ないのではないかと思う。

杖を蹴られることもよくあるし、その後は睨まれることも。

優先席とは誰に対して?と想う。

言葉の壁

脳の病気で言語と身体に問題が残り障害者になってちょうど1年。

自分では発症当時は頑張れば1年後にはそこそこ元通りあるいは日常生活には問題ないくらい回復してるだろうと、ある種怪我の回復に近いイメーザがなんとなくあったのだが、現実はそんなに甘くなく、今も回復とは程遠い。

その中で一番苦労するのは言葉によるコミュニケーション。

何とか音が出せるようになったのだが、言葉の半分以上は伝わらないほど発音が出来ず、息も漏れてしまうので賑やかな場所では全く音さえ伝わらない。

みんな徐々に話せるようになるとか、色んなツールがあるから話とかなるとか言っていたのに、徐々に会う機会が減り、コミュニケーションをとりたがらず適当にあしらわれる事が増えて、音信不通に‥

そんな人が増える一方。

いままで通りとは欲張らないが、いままでに近い付き合いさえできないのが障害者になった自分への今後の付き合いに対する答えなのかと。

どんどん人と会えことすら怖くなっていく。

きつと同じ思いをしている人がいるだろうけど、みんなどう過ごしているのだろうと思ってみたり。

心がどんどん閉じていくのを感じるし、障害者は存在するのをみんな内心こころよく思っていないのかもしれない。

好きでこうなった訳ではないし、誰にでも可能性はあるはずなのに。

痛い程現実を痛感する日々。