日々思うこと。

日々の想いや感じたことを綴ります。

言霊の大切さ

仕事の出来ない人の共通点のひとつが、言い訳が多い、出来ない理由が先行する、何かとネガティブな話をするなど自らを出来ない人間としてアピールしている(本人は気づいてないようだが)。

また何かと問題のある人は、何かにつけて文句や否定的な事を言い、ひがみばかりを連発、引(どうせ」は口癖だったり。

常に「死にたい」とか「もう生きてても仕方ない」という人は、どんどん孤独になり、あまりしつこいと「じゃさっさと死ね」と言われる状況を自ら演出。

そんな人間ほど言ってるだけで死なない、ただのかまってが多いのだが。

 

逆に周りから幸せそうに見える人、仕事が出来る人などは共通してポジティブな事を言い、あまり言い訳や出来ない事を率先して言わず、まずどうしたら出来るかを話す。

もちろん「死にたい」とかは言わないから周りも困らない。

ただし、勘違いの自己顕示欲の横柄さは別だけど。

 

自らが言う言葉は、即効性はないにしても少なからずその言葉にみあう流れを呼んでくる。

ネガティブな言葉はネガティブな事を、ポジティブな言葉はポジティブな事を、言葉は周りの人はの雰囲気をつくり、思考をつくり、見る意識を作る。

言霊と言っても魂とか神秘的な話ではなく、言葉はその環境と思考と自分が意識するものを自然と選ぶ結果がネガティブななのかポジティブなのかを選択している。

 

どうなりたいかの言葉は大切だと言う事。

くだらないと言う人がいるかもしれないが、長い目で見てそんなに軽視する事ではないと思う。

依存症の言い訳

最近未成年に対する犯罪で問題になってグループが本人抜きに謝罪する事で騒ぎになった事案、本人は肝臓が悪いから入院しただけとアルコール依存ではないとアピールしていたが、退院した日に飲酒、そして事件を起こすという結果…。

どう考えてもアルコール依存なのは間違いないが診断書に記載してないからというだけで違うと主張。

 

アルコール依存症をはじめ、さまざまな依存症には共通点があるような気がする。

・依存症の自覚がない、依存症だと言われても断固否定する。

・辞められる?と聞いて、ヤル気になれば簡単と言いながら、絶対辞めない。もしくは明日からと言って明日からは永遠に来ない。

・依存症を指摘すると過剰に言い訳する。特にストレス発散という言い訳が多い。

・人に迷惑かけてないと、迷惑かけててもかけてないと頑張る。

などなど…

 

まぁこういう人は、基本意思が弱い。

そして普段から言い訳がましい。

依存症体質は仕事が出来ないひとが多いなど。

あまり人としてはよろしくないかなと思えるのは自分の見た範囲でのことだろうか。

ネット依存、恋愛依存、親依存、ギャンブル依存だんだなどたくさんあるがどれも良いものではない。

その割に人には自分のことはさて置き厳しい人が多く、お前こそどうなんだ?と言われると、言い訳が饒舌によく喋るとばかりに止まらない。

 

だんだん依存症が増えてるような気がするし、依存症が普通のことのようになりつつあるような気がする。

犯罪にならなければいいのではなく、依存症にならないのが大切ではないだろうか。

 

 

匿名犯罪者こそ公開すべき

いい加減な情報を載せたり拡散したりして、誤解や間違いで嫌がらせや脅迫など、身に覚えのない事で恐怖を感じたり生活に大きな支障をきたす人がいる。

ネットの情報を間違い情報だと鵜呑みにして行動する馬鹿な人も問題だか、そもそもそんないい加減な情報を流す人な問題がある。

まぁ鵜呑みにする人は、明日ロシアや北朝鮮に日本は滅ぼされるとか、明日日本の通貨は紙くずになりますと言って信じるのか?

まぁその程度の理解力なのだろうけど。

そんないい加減な情報を載せる人はそれ以下の存在た。

自分を明かすならまだしも匿名でこそこそと嘘を垂れ流す。

その結果無関係な人を貶める。

警察が検挙した例があるそうだが、報道では名前さえわからない状態。

そう言う人こそ実名で情報を流すべきではないか。

被害者はそう言う人のせいでどれだけの苦痛を味わったか、今度は自分が経験したらいい。

自分のしたことがネットにずっと残る事がどれほどのことか実感したらいい。

そもそもそんな卑劣なことをする人を可愛そうとも思わない。

今の社会は相手を傷つける事に罪悪感が薄いのではないだろうか。

自分がされたらどう思うという考えがないのではないか。

自分さえ楽しければいい、そんな考えがあまりに蔓延してはないだろうか。

そしてネットの情報をあまりに鵜呑みにして信じ過ぎてないだろうか。

匿名の世界ほど怪しいと思うべきなのに。

そこは無責任の世界なのだから。

 

自己啓発も善し悪し

今の自分を変えたい、もっと素敵な自分になりたいなど様々な理由で自己啓発を行う人は多いと思う。

ただそれも違うだろうと思う方向に向かっていく人がかなりの数いるような気がする。

 

自己啓発本を何冊も読み、しまいには自己啓発本を読むのが趣味になっている人。

本を読むのがおかしいとかは思わないが、手当たり次第に読み漁るのはどうなんだろう?

 あなたは結局どうなりたいの?

読んで学んでいる自分は素敵になろうとしてるつて事だと行為に酔ってないだろうか。

ただただ結果として浪費しているだけで読む事に自己満足しているだけではないだろうか。

たくさん読んでみた結果の成果はどれだけのもの?

 

また自己啓発のセミナーに足繁く通う人もかなりの違和感。

自己啓発をしてる仲間が欲しい、そんな人たちの中にいるのが楽しいと本来の目的が違うものになっないだろうか。

またセミナーによく参加するような人は独特の雰囲気や話し方で、どこか新興宗教の信者に似ている。

普通の人に比べてかなりの違和感。

たぶん自己啓発の結果、こんなに素敵に変われるんだと言うのだろうがかなり気持ち悪い。

そのまま一般社会に実践していたらかなり浮いた存在、変わり者に見える。

 

自己啓発にハマる人の多くはそもそもの目的は何?と言うことが見えなくなっているのかな。

日常の中でどうなりたいのか目標があればそれに向かって、目的に近い人と自分がどう違うのかを考え、真似てみればかなり変わるはず。

それがぼんやりしている人は参考に本を読んだり、試しに参加程度はいいと思うが自己啓発ビジネスにまんまとハマるのは、ただの依存症のお客さんでしかない。

自己啓発は良いと思うが、間違えると自己啓発になってない事に気づかないのでは。

たぶんそう言う人はあなたは意識薄いとか言うのだろうけど。

何事もほどほどにしないと本来の目的を見失うことにさえ気づかずに、ただの信者になってしまう事になるのでは。

自己啓発も善し悪しかな。

ちょっとした優しさが嬉しい

先日、服を買いに行った店で、「試着をしますか?」と言われ、私は半身が思うように動かない障害者という事もあり「身体が不自由なので迷惑かけるからやめておこう」と伝えると、「ゆっくり焦らずにして頂いていいですよ。もし困ったら手伝いますから気兼ねなく。」との対応をしてもらいました。
非常に時間がかかりましたが嫌な顔せず笑顔で対応してくれた店員さんに感謝。

健常者と同じタイミングで「どうですか?」と何度も聞かれ焦りから途中で諦めやめてしまうことがよくあるが、こう言った対応をしてもらえると安心して試着できるからとても嬉しくて、ついついまたそこで買おうと思ってしまう。

ちょっとした事だけど、こんな事が障害ある身としてはとても大きく嬉しい事。

もっとこんな対応してくれる人が増えたらなぁと。

空席があるのに優先席に座りたがる

関西の電車でよくあることのひとつ。

空席があるにも関わらず何故か優先席に座る人が多い事。

関東ではあまり見られないが、関西では当たり前にある。

それは年寄りや障害者ではなく、どうみても元気な若者やサラリーマンなど。

そして障害者やお年寄りが乗ってきて目の前に立っても知らぬ顔で席を譲ろうとはしない。

譲ってくれるのはごくわずか。

それが次の駅で降りるとしても譲ろうとはしない。

普通の席ならまだしも優先席でこれって、日本語が読めないのか日本語がわからないのか、優先席の意味がわからないのか…。

一度座ったら何があっても譲らない、譲ってしまったら何か大変なことでもあるのかと思うくらいにかたくなだ。

この優先席死守のスタイルはなんなんだと思う。

ここは思いやりより席に座らないといけない何か特別なものがあるのだろうか?

それとも道徳観の欠落、日本語理解が困難な知的レベルなのだろうか?

個性と言う無個性

流行りなど個性的ファションといいアピールする人、性格や行動が個性的とアピールする人、特に若年層に多い。

人にアピールするような場面で自分が個性的とアピールする人も。

そんな人によくある共通点が「個性がない」と言うこと。

個性をアピールするけど結構な割合で真似ごとの集合体だったりする。

個性的なファションと言いながら、同じ服装かわわんさかいるとか、個性的な趣味と言いながら、ただの流行りに乗ってみてるとか…。

実は無個性のコピーだったりしてる。

奇抜なことをするのが個性的とは言わないが、自分の性格や感性、行動が周囲を意識しないで出来ればそれは個性的だけど、人からどう思われるかや、SNSなどの反応などを意識してるのはちょっと違うかな。

そもそも自分で個性をアピールするのは無個性の裏返しで滑稽に見えるのは自分だけだろうか。