人に必要とされるということ
障害者となって多くの人が去っていき、これまでの仕事が出来なくなり、代わりに出来る仕事もなかなか見つからず、どんどん家に引きこもることが多くなった今。
日常生活の中でも今まで出来たことが難しくなり、自分が出来なさに愕然。
このまま生きていて良いのだろうか?、これからも生きていていいのか?などと思う日々。
こんな自分はこの社会に不要な存在ではないかと思ったり。
そんな中でも「生きていればそのうちいい日が来るよ」と言ってくれる人がいるが、心の中では「そんな訳ないよ」と思う自分がいる。
自分は同じ立場にないからそんな無責任な事が言えるんだと。
そんな時、こんな事出来そう?と言われることがたまにある。
動く体の部位だけで出来そうな内容で、「この人は難しい条件の中、出来そうな事を探してくれたのか」と思うと感謝の気持ちと同時に、こんな自分でもまだ必要としてくれる人がいるんだなと、まだ生きててもいいのかな?と。
人に必要とされていると思える時、それはとても嬉しく、自分の存在をまだ認めてもらえてると思える貴重な瞬間。
それなのに、中には健常者であるにも関わらず、自ら人との接触を断ち、自分の存在を曖昧にする人がいる。
ただ嫌な事から逃げ努力もせず、他人のせいにして正当化して。
頑張れる体があるだけまだいいのに。
頑張りたくても頑張るには難しい体でも頑張ってるのに。
人に必要とされるには何もしなくていいわけはない。
みんな少なからず努力したり嫌な事を我慢してるのだから、楽してわがままでは何も解決する訳がない。
人に必要とされること。
それは生きていく中でとても大切なこと。
自分の存在理由を示すことにもなるし。
後からどうしようもなくなってから、後悔するのではなく、後悔する前に頑張れる体の時にやれる事をやっておくことで、万が一の時少してもじぶんを必要としてくれる人がいてくれると思う。
本当に辛い時、人に必要とされてると思えることは想像以上に大切ななことに感じるから。