日々思うこと。

日々の想いや感じたことを綴ります。

日本でのエリートとは

日本で見るエリートとはこんな感じ…

 

高学歴でそれなりの社会的な地位を得て、プライドをとても高く持ち人を見下し、暴言・暴力を行い、利益を貪り何がまずいことは他人のせいもしくはしらばっくれる人

 

というのが最近目にするエリートと呼ばれる人たち。

日本ではエリートとは人間性がクズになるということか…

本来の言葉の意味は何処へやら。

やりたい放題

このところ与党では都合が悪い事は印象操作だとか確認する必要はないとか、何もなかったことにしようと誰もがわかるレベルの隠ぺい態度。

どんなおかしな発言をしても撤回しますで終わり。

要するに悪さをしても、どんな暴言を言ってもなかったことで…といった態度。

国を代表する人がこんな態度で一般人が同じ態度を取った時なんて言うのだろうか?

政治家が隠ぺいや暴言後に撤回しますで済まされるのだから、みんなもそうしていい、子供がそれを見て真似でも叱ることさえ出来ない、そんな社会をつくりましょうと言うことなのだろうか。

モラルの基準がこの国はちょっと違うのかもしれない。

誰からも望まれない者

最近昔のことをふと振り返ったことがあり、あらためて思うことがあった。

それは自分が「誰からも望まれない者」ということ。

 

幼少期は親から「お前は俺の子供じゃない」と事あるたびに言われ続け、日常のDVは当たり前、あるとき迷子になったとき交番に保護され親に迎えに来るよう連絡された時、親が迎えに行くつもりはないと言ってるからと警察官が送ってくれることがあった。

骨折をしたときはそのまま放置され変形したまま今に至ったり…今なら虐待で問題になるかな。

 

いじめに至っては小中高一貫していじめの対象で、先生に助けを求めても露骨に嫌な顔で放置される日々でした。

落書き、ごみ箱に荷物の放棄、言葉と肉体的暴力など…

登校拒否をしようとすると家庭で「世間体が悪い」と暴力を受け無理矢理登校するといった感じで。

部活には入ってみたものの、周りからは無視されるという想定通りの対応。

 

社会人になってからは相手に危害も悪口も言わなくても何故か嫌いと言われることがあったり、手伝いをする時や仕事を相手に変わってやる時だけかまわれたりで上司から褒められると「嫌なやつ」と周りで徒党を組んで仲間はずれにされたり、最近は一緒に頑張っていこうと言ってたはずの人が障がい者になった途端に音信不通…。

 

当然の事ながら今まで友達と呼べるような中の人はいなかったし、自分ではそう思っていた人が相手は全然そうは思ってなかったとか。

親も同級生も同僚も今まで自分を受け入れてもらった事はなく、傷つき裏切られと言う日々だったなと思うばかり。

 

そのうちきっといい時が来ると言われても、それは来た人が言うだけの話。

真面目に人に出来るだけ迷惑をかけず正直に生きて良かったと思う事はほぼ無い。

でも今さらこの性格を変える事は難しく、どう変えたらいいかもわからない。

 

自分は誰からも望まれない存在なんだなと。

これから先、さらなる苦痛の日々をどう生きるか…考えるのは辛い。

かといえ自殺する勇気もなければ殺されるような事も望ままい。

ある日眠りについてそのままと言うのが理想かな、

誰にも気づかれないまま。

きっと誰も気にかけてないだろうし。

今の日本政府が目指すは中国・北朝鮮?

最近、日本政府は都合が悪そうなことは、調べない、フェイクニュースとアメリカの今の大統領と似た態度で封じ込めに終始し、共謀罪は日本はもちろん海外からも疑問視される中、皆さんに丁寧な説明をするとか言っててた先から審議途中での強行採決

政府のコメントを確認してみると戦前の警察ばりに監視体制をとれる法案だったりと、現行の法律でも使ってないだけで活用すればいいのを飛び越えて窮屈な監視社会にする方向に真っしぐら。

政府の都合が悪い事は無かった事に、政府の都合が悪い人は捕まえるそんな体制がしっかり出来つつある昨今、だんだんと中国や北朝鮮に政治体制が近づいてる気がするのは気のせいだろうか。

そんな今の政府を支持する国民。

自分良ければ後は知らないとばかり。

日本は戦前の政治を古き良きとでも思っているのか…。

此の先この国はどこへ向かって行くのだろう…。

犯罪者に優しい国…日本

いつもニュースを見て思うのだが、悪質な相手の人生をどん底に落とす様なサギが数年程度の刑で、なおかつ執行猶予と実質的なお咎めなしだったり、反省の言葉を述べているで刑が軽減されたり、殺した人数が1人なら十数年間の判決であったり…。

被害者は相手の行為で死んでしまったり、人生が大きく狂いどん底で中には自殺に追い込まれたりと想像を絶する苦痛を味わっているにも関わらず、加害者の人権がとか反省しているとかとても加害者には優しいことがたくさん。

被害者の人権は加害者よりもとても軽視されている様に思えてならない。

反省の態度なら実際は微塵も思ってなくとも適当に演技することはいくらでもできるし、サギだって数年で開放されてまた…という事も少なくないし、人ひとりの命は加害者数年の人生って…随分軽い扱いだなって。

反省してるから人生やり直すチャンスを…と言うが、ある意味では分からなくはないが、程度があるのでは?

日本は性善説が基準になっていたからかもしれないが、見直してもいい時期が来てるのではないだろうか?

累進刑なり刑期終了後のペナルティーなど、まっとうに生きる人は損をするのではなく、悪いものには相当の足かせがつくから、事前にやらない様にするくらいのことはあっても良いと思う。

人の優しさは西高東低?

身体に障害があるため、公共交通機関では、色々大変なことが多いのだが、周りの対応が今までの経験上地域によって差がある。

大阪では階段の昇降で「何か手助けしょうか?」とかエレベーターに乗ろうと向かってるのに気がついた人が待っていてくれたり、席を譲ってくれる人が多い。 

東京ではいるのを目視してからスマホに集中?したり急に目をつぶり無視する人が多く、エレベーターや階段は基本無視が大半。

エレベーターで待っていると乗るのを待っていてくれるかな。

札幌では席に向っていると横からダッシュで目の前に座り知らん顔、エレベーターに乗ろうと向かってるのが見えているのに閉めるボタンで目の前で行ってしまう、階段では手摺りをつたい杖を持って移動してると平然とぶつかってくる。

歩いている時も札幌ではよくぶつかって、何度となく危ない思いをした。

どれも何度も経験したことなので地域の人間性なのだと思う。

人の優しさは西高東低なのかもしれない。

寒い所ほど心も冷えてしまえのだろうか…

辛いときは笑おう

つねに心がけていること

「辛い時は笑おう」

今も昔もあまり幸福を感じるような人生ではない。

人それぞれ尺度はあると思うが、自分の事を知っている人は皆不幸が歩いているようだと言う。

今も思うように身体が動かせないし、言葉を上手く発する事が出来ない。

日々の生活の中でも泣きたくなるような事がたくさんある。

相手に思う事を伝えられないとか、普通の人が何気なくできることができないとか、差別を受けたりとか。色々と…。

そんな時はいつも辛いからこそ笑おうと心に決めて笑うようにしている。

そうしないとネガティヴスパイラルに陥り自分が保てないと言うのもあるが、笑っていればいざれ本当に笑える日が来るかもしれないから。

中々そこまでできなかったけど、最近ようやく自然に出来るようになった。

決っして楽ではないけど同じダメなら笑っている方が救われるような気がするから。